アーカイブ: 評伝

プロデューサー城戸四郎 若き日の挑戦(第2回)

プロデューサー城戸四郎 若き日の挑戦(第2回)

2020年06月12日

第一章 関東大震災前後の蒲田撮影所 一、城戸四郎が所長に就任して直面した問題  城戸四郎が、前任の野村芳亭に代わって第四代の蒲田撮影所長に就任したのは、関東大震災の翌年大正十三年の七月であった。城戸の誕生日は八月十一日で […]

プロデューサー城戸四郎 若き日の挑戦(第1回)

プロデューサー城戸四郎 若き日の挑戦(第1回)

2020年05月24日

プロデューサー城戸四郎 若き日の挑戦(第1回) ~諸口十九主演「お坊ちゃん」と「蒲田調」構築プロセス~ はじめに  城戸四郎(一八九四~一九七七)は、松竹キネマにおいて蒲田と大船の撮影所長を務めたリーダーであり、松竹の社 […]

評伝・水島あやめという女性(第71回)

評伝・水島あやめという女性(第71回)

2016年02月21日

五、エロ・グロ・ナンセンスと会社の方針と 水島の場合、これらトーキー化に対応することのほかに、世相の変化の荒波をも受ける。 さきに紹介した升本喜年氏は「会社から、もっと色っぽいものを書いて欲しいと求められた」と、ある人物 […]

評伝・水島あやめという女性(第70回)

評伝・水島あやめという女性(第70回)

2016年02月14日

四、トーキーが求めた変化 トーキー時代の到来は、俳優にもきびしい現実を突きつけた。 サイレント時代では、なまりがあろうとダミ声やキンキン声であろうと声質は問題にならなかった。 しかし、トーキーともなると、そうはいかない。 […]

評伝・水島あやめという女性(第69回)

評伝・水島あやめという女性(第69回)

2016年02月12日

三、トーキー化と脚本家の悩み こうして、松竹キネマのトーキー化の取り組みがスタートしたわけだが、映画が有声に変わっていくことで、映画製作はすべての分野で変革を余儀なくされる。 当然のことながら、撮影所では、日々真剣に対策 […]

評伝・水島あやめという女性(第68回)

評伝・水島あやめという女性(第68回)

2016年02月07日

二、昭和五年から昭和七年までの水島映画 国内外が、なにかときな臭くなってきたこの時代に、水島あやめはどうのような作品を書いていたのだろうか。 昭和五年から同七年は、水島が二十七歳から二十九歳にかけての時期である。 まず公 […]

評伝・水島あやめという女性(第67回)

評伝・水島あやめという女性(第67回)

2016年02月06日

第七章 トーキー時代の幕開けと世相の変化 一、昭和五年から昭和七年の世相と日本映画の転換期 これまでみてきたように、昭和二年から四年にかけて、すなわち水島あやめ二十四歳から二十六歳にかけての三年間あまりは、松竹蒲田で唯一 […]

評伝・水島あやめという女性(第65回)

評伝・水島あやめという女性(第65回)

2016年01月31日

十二、経済的な自立~祖父への手紙~ このような充実した月日をへて、水島あやめは脚本家としての地位と社会的な評価を獲得した。 そして経済的な基盤も確立し、生活にゆとりが持てるようになっていた。 上京してからの母と娘のふたり […]

評伝・水島あやめという女性(第64回)

評伝・水島あやめという女性(第64回)

2016年01月30日

十一、日本女子大同窓会「桜楓会」の取材を受ける 「児童映画の事」という文章が雑誌「芝居とキネマ」に掲載された三か月後。 こんどは母校日本女子大学の機関紙「家庭週報」昭和四年六月十四日号に、「訪問記(八) 蒲田スタヂオに水 […]

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