「水島あやめの生涯 日本初の女流脚本家・少女小説作家」出版とブログ「評伝・水島あやめという女性」終了について

2019年12月25日 水島あやめという女性

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2019(平成31、令和1)年という年は、私にとって大きな節目の年になった。

そのひとつが、「日本初の女流脚本家・少女小説作家 水島あやめの生涯」の上梓である。

水島の存在に出会って27年、執筆から出版まで約3年かかってしまったが、なんとか無事に本にすることができてよかったと思っている。

水島に関する文献はいくつかの文学事典等に簡単な記述がある程度で類書はなく、彼女の生涯と業績をまとめた最初の本となる。

水島の足跡は、映画史、シナリオ史、大衆児童文芸史(少女小説史)、女性史など、日本近現代史のいくつもの分野に残されている。

執筆にあたっては、彼女の記録や作品そして当時の雑誌に掲載された関連記事をもとに、彼女の歩んだ87年間の生涯を可能な限り明らかにすることに専念した。

 

水島は生前、知人にこんなことを言っていた。

「自分のことを書かれるのが大嫌いだから止めてください。なぜなら、筆者の主観や想像が入り、そのうえ興味をそそるために、作りごとまで入ることがあるからです」。

この一言が、私の執筆に自問自答を繰り返えさせた。そして私は、できるかぎり丁寧な事実の確認と水島に寄り添った気持ちの整理に、納得するだけの時間をかけるようにした。

彼女の映画作品(原作・脚本)と小説作品(単行本・付録本・新聞雑誌掲載作品等)の業績は、早い時期にほぼ確認がすんでいた。

しかし、それだけでは単なる作品目録にすぎず、いずれ誰かが「人間・水島あやめ」を書くようになるにちがいない。

それは自分しかいないのではないか? それも、いまこの時に書き上げておかなければ、時の流れとともに、人々の忘却の彼方へとかすれていってしまうのではないか?

そんな思いに意気込んで、というよりは恐る恐るといった感じで書き始めたことを覚えている。

もし彼女の意に添わなければ、おそらくは書き上げることも、一冊にまとまることもないだろうという思いもあった。それはそれで彼女の意向なのだろうと。

こうして、行きつ戻りつして書き上げた彼女の生涯が、曲がりなりにも一冊となったことに、自分なりの達成感と安堵感を得ている。

水島あやめ女史の寛容と、さまざまな方々や機関の理解と協力と応援にこころから感謝申し上げたい。

 

学術的な基礎知識も経験もほとんど持ち合わせていないがために、失笑を買うような独りよがりで片手落ちの部分も多々あるにちがいない。

それは現在の自分の力量だからとお許しいただくしかないが、しかし、こうして第一歩を踏み出すことを許してもらった者として、これを出発点に不十分だった部分を補っていこうと決心している。

事実、長い時間をかけてきたがゆえに、気づいたこと、疑問に思ったことなど、たくさんの課題が手元に残っている。

それは、先述した映画史、シナリオ史、大衆児童文芸史、少女小説史、女性史などをふくむ大衆文化、大衆娯楽などの近現代史がテーマになりそうである。

それらについて、これからひとつひとつアウトプットしていきたい。

それが、2020年以降のテーマである。

 

ついては、ブログ「評伝・水島あやめという女性」の連載は、これをもって終了させていただきたい。

水島に関する未紹介のエピソードは、今後の掲載記事において随時紹介したいと思っている。

そしてもし、水島あやめの生涯にご興味を持っていただける方がいらっしゃるならば、拙著「日本初の女流脚本家・少女小説作家 水島あやめの生涯」をお手に取っていただければ幸せです。

 

2019年12月25日 因幡純雄

 

 

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