大当たりした「母よ恋し」

2014/11/22

水島あやめの遺品に「思い出の切抜き集『蒲田』その他」と言うものがある。映画雑誌の切り抜き、写真、ブロマイドとともに思い出が書き込まれたもので、松竹キネマ蒲田撮影所脚本部に所属していた当時の様子や心境を知ることができる。

その一頁に、「母よ恋し」の一場面を紹介した雑誌記事(「芝居とキネマ」大正15年7月1日号)がある。娘洋子(藤田陽子)と仲良しのおつゆ(高尾光子)が自分の娘だと知り、房子(八雲恵美子)が心を乱されている場面と思われる。そこに、水島は次のように書き込んでいる。

「これはわたしが松竹キネマ入社第一回のシナリオ。新派大悲劇とでもいうようなものであった。」
「この映画が大あたりだったので、それから私は光ちゃんと組んで、いわゆる『お涙頂戴』ものを、次々と書かされたのだった。」

短い書き込みではあるが、脚本家水島あやめにとって重要なワードが、いくつか入っている。

①松竹キネマ入社第一回のシナリオ(松竹蒲田での脚本家としてのデビュー作)
②新派大悲劇
③大あたり
④光ちゃんと組んで(子役高尾光子とのコンビ)
⑤「お涙頂戴」ものを、次々と書かされた

粗筋でわかるように、この映画は、毋房子とその娘おつゆを主人公とした母と娘の情愛を描いた物語で、いわゆる新派劇の流れを組んだメロドラマである。水島の生い立ちや少女小説作家に転じてからの作品群などを総合的に見たとき、「水島映画」とは何かと問われれば、「少女悲劇」「家庭悲劇」「毋もの」と言うことになろう。この映画は、婦人層の心の琴線を大いに刺激し、大ヒットする。松竹蒲田は女性映画に力を入れ得意としたが、この映画をきっかけに、水島と高尾のコンビは、蒲田映画のドル箱路線の一つを担う存在となっていくのである。

「母よ恋し」グラビア

2014/11/22
no.181

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