シャーリー・テンプルの訃報

2014年02月12日 松竹蒲田撮影所少女小説

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今日の朝刊の片隅に「シャーリー・テンプルさん死去」とあった。アメリカ時間の2014年2月10日逝去、享年85歳だったという。水島あやめと如何なるかかわりありや。接点があるとすれば、同時代にアメリカと日本の映画界で活躍していたこととなる。

シャーリー・テンプル(1928~2014)は、1930年代において、もっともアメリカを象徴する子役の映画スターであった。代表作の多くに「テンプル…」の冠が掲げられていたほどである。十代後半に映画界を去った彼女は2度の結婚を経て、外交官としてガーナと旧チェコスロバキア大使を拝命、アメリカを代表する任務を務めた。カクテルや子供服ブランドにもなり、アメリカのみならず全世界の人々のなかに生き続ける存在である。

彼女の代表作のひとつに「テンプルの軍使」(1937年7月公開)がある。日本では同年12月に公開され話題になった。それは当時の少女雑誌にも取り上げられており、水島あやめ(34歳)がストーリ紹介を執筆している。14ページにわたりスチール写真付きでストーリーを紹介した文末に、「フォックス映画会社提供 水島あやめ・文」となっている。水島が松竹蒲田脚本部を退社したのは昭和10(1935)年だから、その2年後のことである。当時の水島は小説作家に転身し、活動の場を「少年倶楽部」「少女倶楽部」に移行していた。シャーリー・テンプル主演の映画紹介の依頼が来たのは、女性映画脚本家として活躍した経歴によっていたことは想像に難くない。

世界各国で映画俳優が大統領や州知事、国会議員や市長などに就任している事例は、ここでことさら書くこともないが、しかし大使となった俳優となると、にわかに思い浮かばない。シャーリー・テンプルは、その先駆者のひとりであることは確かなようだ。

テンプルの軍使(タイトル)

2014/02/12

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