昭和2年(1927)〔24歳〕

1927年 脚本家時代

※当サイトの内容、テキスト、画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。お問い合わせはこちら

1月、初めての恋愛喜劇『恋愛混戦』(監督島津保次郎)が公開される。

5月、雑誌『映画時代』創刊記念脚本募集に、<荻野夢子>のペンネームで応募した脚本『久遠の華』が当選するも、映画化は実現しなかった。

7月、雑誌『料理の友』(大日本料理研究会)で、少女小説「目無千鳥」の連載が始まる。

8月、あやめ唯一の時代物映画『木曽心中』(監督吉野二郎)が公開。

9月、少女もの『孤児』(監督大久保忠素)公開。
監督大久保忠素、脚本水島あやめ、主演高尾光子のトリオで製作された少女ものの第一作。3人の頭文字を取って「オミタ・トリオ」と呼ばれ、人気を博す。

10月、新潟県長岡市で、あやめの帰省を機に、長岡高等女学校のクラス会が催される。人気女性シナリオライターの来訪を聞きつけて、新潟市から母娘が弟子入りのお願いに来る。

12月、少女もの『天使の罪』(監督大久保忠素)公開。

PAGE TOP