昭和10年(1935)〔32歳〕

1935年 脚本家時代小説家時代

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1月、『接吻十字路』(監督佐々木恒次郎)が公開。

3月、松竹蒲田脚本部を退社。以後、少女時代からの夢だった小説家に転じる。

5月、『輝け少年日本』(監督佐々木恒次郎・佐々木康)が公開。皇太子殿下(現上皇陛下)降誕奉祝記念映画。水島あやめの映画作品のなかで唯一のトーキーで、松竹蒲田での最後の映画作品となる。

同5月、雑誌『少年倶楽部』に、少年小説「山の勇者」を発表。小説家として、新たな人生を歩み始める。
この年、同誌に「故郷の空」(七月号)、「美しき勝利」(九月号)、「高原の秋」(十一月号)が掲載される。

6月、雑誌『婦人子供報知』に、家庭小説「姿なき母」が掲載。
以後、同誌に「母の紅提灯」(七月号)、「落葉は哀し」(九月号)が掲載される。

7月、「家なき児」(マロー原作)が『少女倶楽部』の付録本になる。

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