女性史

新人脚本家・水島あやめの決意

新人脚本家・水島あやめの決意

2015年03月01日 , ,

水島あやめは日本女子大学を卒業するとすぐに、松竹キネマ蒲田撮影所脚本部に入った。それは、長岡高等女学校の恩師たちの期待に応えなかったばかりでなく、良家の令嬢がつどう日本女子大学の校風にもそぐわぬ選択であった。なぜなら、当 […]

水島あやめの信念

水島あやめの信念

2015年03月01日 , ,

水島あやめ(本名高野千年)は、日本女子大学師範家政科4年の時に、小笠原映画研究所でシナリオを学び、その秋に「落葉の唄」(原作国本輝堂)のシナリオライターでデビューした。そして大学を卒業すると、そのまま松竹キネマ蒲田撮影所 […]

「婦人席でのさまざま」①

「婦人席でのさまざま」①

2015年03月01日 ,

水島あやめは(24歳)は「芝居とキネマ」昭和2年9月に、「婦人席での様々」という文章を載せている。これは、水島自身が映画を見に行った際に見聞きした光景を、脚本家として、一女性として、感じたところを綴ったものである。題名に […]

随筆「湯河原行」②=蒲田脚本部新年会

随筆「湯河原行」②=蒲田脚本部新年会

2015年02月28日 ,

前回につづき、水島あやめが日本女子大学の機関紙「家庭週報」(昭和8年2月10日号)に寄せた随筆「湯河原行」の後半を紹介する。 「ご飯の時も、その後で脚本会議が始まってからも、室の障子は、時々、ドカンと暗くなったり、又カッ […]

「新中間層」と通俗小説と文芸映画

「新中間層」と通俗小説と文芸映画

2015年02月01日 ,

水島あやめは、人気作家・吉屋信子の通俗小説を原作とする文芸映画3作品「空の彼方へ」「暴風雨の薔薇」「女人哀楽」を脚本した。「海の極みまで」(1922)から始まり、水島脚本の3作を経て、「釣鐘草」「あの道この道」「良人の貞 […]

大久保忠素・水島あやめコンビの理由

大久保忠素・水島あやめコンビの理由

2015年01月02日 ,

松竹蒲田所属中に製作公開された水島あやめ作品は、全部で28作。そのうち、大久保忠素が監督したのが6作。しかし、「明け行く空」(昭和4年5月公開)は斎藤寅次郎監督となっているが、撮影当初は大久保が予定されていたものが、どこ […]

「噂」という障害

「噂」という障害

2014年12月30日 ,

水島あやめ(24歳)が松竹蒲田脚本部において、唯一の女性として働くうえで戦わねばならなかったのは、女性蔑視の偏見や差別ばかりではなかった。「噂」という壁もあった。某記事で水島は、ひとりの監督とのコンビで何作も続くと、すぐ […]

新人脚本家の日々①~映画館めぐり~

新人脚本家の日々①~映画館めぐり~

2014年12月20日 , ,

大正15年秋。水島あやめ(24歳)は、映画脚本家として独り立ちしようと努力の日々を送っていた。再び、母校の「長岡高等女学校同窓会報」に寄せた文章(十五、一○、八)から引用する。 「―月曜日の朝。 「今週はまだ二つ行く所が […]

「母もの」と「少女悲劇」

「母もの」と「少女悲劇」

2014年12月16日 ,

新派調悲劇を撮らせたら右に出る者がいないと言われた監督が、松竹蒲田の野村芳亭である。劇場の舞台背景画製作者から映画監督になった野村は、大衆に受ける芝居作りのコツを熟知していた。大当たりした「母」(1923年公開)は、新派 […]

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