小笠原プロダクション

映画監督・小笠原明峰の実力

映画監督・小笠原明峰の実力

2014年08月04日 ,

小笠原プロダクションは3年ほど、特作映画社はわずか3作で解散。小笠原明峰が主導し中心的に関わった2社の寿命は短かった。理由は何だったのだろうか。2社で製作公開された水島あやめの作品「落葉の唄」「水兵の母」「極楽島の女王」 […]

水島あやめと小笠原明峰

水島あやめと小笠原明峰

2014年07月08日 ,

母校「長岡高等女学校同窓会報」に寄せられた水島あやめ(23歳)の文章には、映画「極楽島の女王」のロケ現場を見学に行ったときのことであるという記述はない。しかし、「小笠原島までロケーションに行く事になって」おり、小笠原明峰 […]

小笠原プロの果たした役割

小笠原プロの果たした役割

2014年06月29日

小笠原プロは活動期間の短い小さな独立プロではあった。しかし、日本映画史において果たした役割は、けっして小さくはなかった。 ひとつは、このプロダクションを足がかりにし、あるいは羽休めにして、その後活躍し映画史に名を残した映 […]

小笠原プロの解散

小笠原プロの解散

2014年06月28日

水島あやめ(22歳)を我が国初の女性脚本家として世に送り出した小笠原プロダクションではあったが、映画「水兵の母」の成功が思わぬ事態をもたらし、存続の危機に直面する。後年、水島はこう書き残している。 「これ(「水兵の母」) […]

上野精養軒と城戸四郎

上野精養軒と城戸四郎

2014年06月26日

映画「水兵の母」の完成試写会が催された上野精養軒は、東京ではじめての西洋料理の専門店である。鹿鳴館時代には、内外の王侯貴族や名士が馬車で駆けつけるなど、華やかな文明開化の一舞台として栄え、大正時代になっても上流階層の接待 […]

PAGE TOP